NITSニュース第246号 令和7年7月22日

働き方改革と学び

帝京大学大学院教職研究科 准教授 町支大祐

学校における働き方の問題が注目されるようになって10年弱が経ちました。皆さんの実感はどうでしょう。かなり変わった部分もありつつ、やはりまだ課題が残っているという印象を持つ方も多いのではないでしょうか。

私は、働き方改革の研究や実践に携わっており、ありがたいことに様々な自治体や学校に呼んでいただくことがあります。多様な現場に触れる中で、最近、(肌感覚ですが)二つの印象を持つことが多くなっています。一つは、現状がかなり二極化してきていることです。軽やかに変えていく学校や自治体がある一方、なかなか変わらない、じわじわ悪化しているところもあります。もう一つは、働き方と学習観の転換がリンクしているように見えることです。働き方が改善している学校は、探究が進んでいたり、主体的な学びを重視した授業になっていたり、学習観の変化も同時に起こっているように感じます。例えば児童生徒指導の負荷が少ないからどちらも変えやすい、といった影響はあるでしょうが、そうした単純な構造だけで語れるわけでもなさそうに感じます。

さて、学校の働き方改革が簡単に進まない背景には、二つの難しさがあると思います。まず、時間をけずる最も単純な方法は、やることを減らすことでしょうが、そう単純にはいかないということです。仕事を減らしまくって子どもの学びや成長を毀損するようなことは、我々にはどうしてもできません。専門職としての使命があるからです。とすると、量を減らしながら質を維持するか上げることも考えねばなりません。もう一つは、教職員間の考え方の違いがあらわになることです。先生たちはそれぞれ異なる信念や価値観を持っています。例えば、合唱コンクールを縮小しようとなった時、働き方改革自体には賛成でも、合唱コンクールこそ学級づくりの根幹とこだわりを持っている場合には、反発が生じます。そうしたこだわりが各教職員にあり、それらと折り合いをつけることも問われるでしょう。

そうしたことを考えれば、働き方改革には「これさえすれば」という魔法の杖のようなものは存在しません。継続的なトライアル&エラーが必要です。それには、挑戦と対話の文化が必要です。うまくいかない可能性があっても、えいやっと試してみる。失敗も前向きに次に活かす。そのために、対話を通じて認め合い、時には譲り合う。こうしたことが出来るかどうかが、二極化の分水嶺になっているかもしれません。

最初の話題に戻りますが、これらが可能な学校だからこそ新たな学びにも挑めるのでしょう。挑戦には、励まし合い、相談し合う相手も必要でしょうし、評価のことなどを考えれば基準を相談し議論しなんとか合意するようなことも必要でしょう。もう一点は、教職員自身が新たな学びを経験することの重要性です。挑戦し、対話することを通じて試行錯誤していくという働き方改革のプロセスは、まさに”大人の探究”と言えます。その価値やあり方を実感できている教職員こそ、児童生徒の探究に伴走できるのではないでしょうか。